初めまして。
ポールおじさんと申します。
プロフィール
管理人のプロフィールなんて簡単で良いかと思いました。
最初に下の箇条書きのプロフィールを作成しました。
しかし皆さんが読んで頂く記事の信頼性を計るには、書いた人間の人となりを知って頂く事はとても大事です。
何より箇条書きにしてみると自分の人生意外と面白かったなと思い、65年間の色々なエピソードや教訓を交えながら書き綴りました。
長くなりますが、「プロローグ」以降も読んで頂ければ必ず皆さんの人生の参考になると思います。
では早速始めましょう。
ポールおじさん
株式会社EIC代表取締役
インターネットビジネス研究家
改めましてポールおじさんです。
ポール(Paul)は香港に住んでいる時に友人に付けてもらったニックネームです。
本名は岩下です。
宜しくお願い致します。
以下はプロフィールの一部です。(65年も生きていると箇条書きでも長くなりますね。)
- 日本が高度経済成長時代に入った1956年生まれ。
- テレビも電話も無い時代に幼少期を過ごす。(特に貧乏という訳では無く、当時はそれが普通だった。)
- 運良く大企業に就職。(新入社員教育が6か月も有り、配属前に成績TOP者として大勢の管理職を前に挨拶させられたのを良く覚えています。優秀だったんですね(笑))
- 20代後半に車が欲しくなり、お金のため転職を計画。(第一次独立起業ショック)
- 行政書士と宅建士の資格を取得し、転職を目指すも独立後の収入の不安定さを知り断念。
- 自社株の「持ち株会」へ誘われ入会。半年もたたずに2倍に!
- 副業禁止の時代に転職しなくても投資で収入を増やせる事を体験する。
- 資産をバブル崩壊で無くす事を運よく免れる。(1990年に海外駐在を任命され、インターネットでの売買がまだ無かった時代なので、国際電話での取引は不可と判断してバブル崩壊前に全て売却。ラッキーでした!)
- 英語を覚えるのに少し苦労したが、他は概ね楽しい海外駐在員生活10余年で国際的な感覚を身に着ける。
- 2002年帰国して国内勤務に戻り生まれ故郷の事業所に配属希望出すも、既に事業所は子会社化され転籍を余儀なくされる。
- 海外生産を進めた結果、国内は完全な空洞化となり仕事がなくなる。(第二次独立起業ショック)
- 独立起業を検討中に事業所の閉鎖が決定され、希望退職の募集に管理職ながら真っ先に手を挙げサラリーマンに終止符を打つ。
- 残された2か月のうちに会社設立の準備を一人で全て行い退職の翌日には法務局に株式会社登記。
- 海外工場に対するコンサルタント事業で収益をあげたが、簡単にお金が稼げ過ぎてサラリーマン時代をつくづく無駄と感じるように。
- コンサルとは別にネットショップをYahoo!とDeNA(当時)に自力出店。
- 気を抜き過ぎた放漫経営が元で11年続けた会社を潰す。反省!
- 一億近い借金を返済しながら出来るビジネスとしてネットビジネスをスタート。
- ネット通販、転売、アフィリエイト、情報商材販売、仮想通貨と稼ぐ経験を重ね現在に至る。
- 身内が詐欺被害に遭ったのを契機にブログでネットビジネスに関する正しい情報を発信開始。
プロローグ
写真はマレーシアの首都クアラルンプールです。
それってどこ?と言う人も多いと思います。
アイキャッチの画像は香港のビクトリアピークから見た夜景です。
世に言う「100万ドルの夜景」です。
どちらも仕事で数年間暮らした場所ですが、意外と近代化されていませんか。
ブログは身内が詐欺被害(500万円ほど。)に有ったのを契機に同じような人が出ないようにという思いも有って情報を精査して発信していますが、元々ブログを始めたキッカケは若い女性(友人)との会話でした!
「ネットビジネス初めようかな!」と言う飲み会の席での私の独り言に近いような”発言”に対してです。
「ネットビジネスってどうやるんですか?」
「お金稼げるんですか?」と聞かれたのです。
「嘘でしょう!」と正直思いました。
彼女いわく、何となく聞いた事はあるけど詳しくは分からない。
そういうサイトは見ても何が書いてあるのか分からない。
彼女は知らないが故にバイトの掛け持ちでエネルギーを浪費していました。
これを聞いた私は若い人たちは勿論、自分と同じ年配の方にもネットビジネスを知って貰いたいという強い思いに駆られました。
自分自身も本格的に始めたばかりの時期でしたが、若い人でも知らない人が大勢いる事は驚きでした。
何故なら私はその時に既に還暦を過ぎていたからです。
知らない人は損をしていると感じ、ブログを立上げて分かり易く皆さんに知って頂こうと考えました。
彼女と同じような人は是非ブログを散策して見て下さい!
何故ネットビジネスなのか若い方にもシニアーの方にも、その必然性がお解り頂けると思います。
そして一人でも多くの人がネットビジネスに関わり、人生を豊かにして戴きたいと思います。
そんな気持ちで情報発信しています。
- 自己紹介なので写真をと思ったのですが、皆さんに不快感を与えてはいけないので!( ´∀` )
- アイコン用に娘が書いてくれたイラストにしました。(30歳くらい若くした感じです。イケメンです!イラストは。)
- Takahiro IWASHITA(岩下隆弘)1956年生まれ
貴方のネットビジネス初めの一歩です。
自己紹介ですが、貴方が読み終わったときに新たな自分を発見して、人生を楽しく有意義に過ごす為の気力に満ち溢れている事だと信じています。
息子にスーパーサラリーマンと言われて
学歴で人の価値は決まりませんが、高卒の私からすると医系の大学院を主席で卒業して、東証一部上場の製薬会社に勤めている息子から「スーパーサラリーマン」と言われた時には衝撃を受けました。
私の世代の感覚では息子の方が前途洋々のスタートでは無いかと思うのですが、その言葉を聞いた時には嬉しい衝撃と大きな不安の衝撃が同時に襲ってきました。
そんな感覚を味わったのはその言葉を聞いた時が初めてです。
何故そう感じたのか詳しく聞かずにはいられずに聞いてみると、一部上場企業で若くして管理職になり海外駐在員を10年以上勤めて英語もできるし、中国語も少し出来る。
一番すごいのは年収が40代で1000万円を超えていた事だと説明してくれました。
その経験を聞くだけでも刺さると言うのです。
息子に褒められるのはくすぐったいですが嬉しいものです。
しかし、私としてはそんなに凄い事だとは思っていない事を凄いと感じている息子に不安を同時に感じました。
私より豊かな人生を送れるのではないかと思って安心していたからです。
驚いたのはその時の息子の給料の手取り額を聞いた時です。
院卒の時の初任給も少ないなと思いましたが、それから殆ど上がっていないのです。
既に4年も勤務しているのにです。
自分がサラリーマンをしている頃は毎年の昇給は7%8%当たり前、10%越えも有り、ボーナスは5ヵ月6ヵ月です。
それでも多くのサラリーマンは給料が安いと不満を持っていました。
不満は有るのですが車も買えるし、住宅ローンもサラリーマンなら無条件で組めるし、共働きでなくても結婚は出来る程度は頂けたので殆どの人が定年までは勤めていたのだと思います。
幸い、息子は会社の給料だけでは暮らしていけないと言う事を危機として受け止め、一部上場企業の正社員と言う立場をあっさり捨てて独立しました。
事前に相談が無かったので、話を聞いた時に本業は続けて副業として稼いで、安定してきたら独立すればよいのでは言うアドバイスはしました。
案の定、一年後には稼げなくなり、再就職の面接に奔走していました。
勿論、オウンビジネスは続けながら会社員と言う立場での収入源も確保するという考えを聞いて一安心です。
自己紹介なのに何の話だ?と思われた方もいらっしゃると思いますが、息子の話を通じて少し私という人間の輪郭が見えて来たのではないでしょうか。
つまらない箇条書きの自己紹介でしたら・・・
本名 岩下隆弘
年齢 65歳
学歴 高校卒業
職歴 一部上場企業に勤務
技術畑で海外生産に20年近く従事
クアラルンプールと香港駐在を通算9年
資格 ビジネス英語可、行政書士、宅建士、普通車運転免許
51歳で独立起業(一人で株式会社設立)
60歳で資金繰り失敗し約8千万円の借金を背負い事実上倒産
借金も財産と考え現在はネットビジネスと、新たな経験を積むためのアルバイト生活をエンジョイしている。
以上で終わりになってしまいます。
これを見ても記事の信頼性が分かるようにならないと思います。
経験から得た人生を楽しく過ごすポイントや教訓を混ぜながらお伝えする事で、どんな考えを持った人間なのかを読み取って頂ければと思います。
人のせいにしない心構え
突然ですが、今幸せな人もそうでない人も、お金持ちの人も貧乏な人も、良く考えれば全ては貴方自身の判断の積み重ねの上に成り立っています。
人間は基本的に上手くいった時は自分のおかげ、上手くいかなかった時は人のせいにしがちです。
しかし、人のせいにしていては絶対に人生は良い方向に向かいません。
何故なら人のせいにしている時点で原因が自分に無いのですから手の打ちようがありません。
つまり、何も変えられないのです。
100%自分に責任が無いと思われるような事でも、自分にも何か原因があると考えると色々と見えてきます。
これからネットビジネスで稼いで人生を豊かなものにしたいとお考えの貴方。
これからの人生は「人のせい」にする事なく自分自身で切り開いていきましょう。
今、目の前で起きている事は自分の判断と行動の積み重ねの結果だという事を先ずは強く認識してください。
そして何か問題が起きたときは、他人の原因を考えるより、先ずは自分に原因が有ると思って考えてみてください。
必ず、その問題は解決出来て貴方を苦しませることは無くなります。
えっ!?自己紹介じゃないの??
ですよね!先に述べた通り「人生を楽しく過ごすポイントです。」取りあえずはどんな事を考えている人間か知って下さい。
人のせいにしないと決めて、行動すると全ての事に興味が湧いてきます。
無関心で生きるより、興味津々で生きた方が絶対にワクワクドキドキが増えます。
未来を決める判断と行動
正しい判断と行動の積み重ねが貴方の未来を作ります。
どんな風に判断すれば、貴方が思い描く様な未来を作れるのか、過去は変えられませんが、未来に向かって今どういう判断が出来るようになればよいのか。
時間とお金に不自由しない生活。
周りの人の役に立つことに時間を費やせる、心に余裕のある生活。
会いたい時に会いたい人に会い、したい時に自分の好きな事をする。
これは私がサラリーマン時代に描いていた、未来の理想的な自分です。
多くのサラリーマンの人は漠然とでも似たような理想のイメージをお持ちではないでしょうか。
どんな人も幸せになる為に生きています。
社長になりたい、芸能人になりたい、プロ野球選手になりたいと、色々有っても全ては幸せになる為の手段です。
例に挙げたものだけに限らず、どんな事でも努力しなければ一流にはなれません。
ネットビジネスも幸せになる為の手段です。
ですから一流になるにはやはり努力が必要です。
ワンクリックでとか1日5分でとかは有り得ません。
未来に向かって正しい判断と行動が出来たかどうかは、自分のなりたい自分に近づけたかどうかだと思います。
ですから将来という漠然としたものでは無く、もう少し具体的に自分はどうなりたいのかをハッキリとイメージしておいた方が間違った判断も少なくなると思います。
私の場合は理想を叶えるには会社で仕事を一生懸命頑張れば良いと考えて、必死で働いていました。
結果は50歳過ぎて事業所閉鎖で終了です。
猛省しました。
これも自分の考えの甘さと考え、二度とサラリーマンはしないと誓い、独立起業を決意しました。
実際に行動してみると、本当に拍子抜けするくらい簡単に起業出来てお金を稼ぐ事が出来たのです。
なぜ、もっと早くこの判断が出来なかったのか、反省しました。
皆さんはこの記事を読んだら直ぐに、自分の考える様な人間になる為には本当に今のままで良いのか。
考えてみて下さい。
多分サラリーマンでは貴方が考える様な人生は送れないと思います。
どうなりたいかが具体的にイメージできていない人は具体的にイメージしてみて下さい。
その際、例えばお金持ちになりたいというだけでなく、お金持ちになったらどうしたいのかを具体的に想像してください。
彼女や家族を海外旅行へ連れていきたいとか、両親に家を買ってあげたいとかです。
自分のために何かよりも、周りの人を幸せにする事を想像した方がきっと良い結果につながります。
何故かは少し長い話になりますので、ブログ「MENU」の「成功するマインド」の各記事を御覧になって下さい。
答えがあります。
刻み始めた人生

コンピューター
私が生まれたのは1956年、戦後から復興が自覚出来る様になった頃だと思います。
それでも物心付いた頃は、まだまだ田舎では食べ物が豊富とは言えない時代でした。今と比べてですが。
(後で聞いた話ですが、「もはや戦後では無い」などと言う政治家の言葉が新聞では言われ始めた頃だそうです。)
今では当たり前のカラーTV、携帯電話やスマホはおろか黒電話も全家庭には普及していませんでした。
一般家庭で欲しい「3種の神器」が冷蔵庫、洗濯機、テレビですから、本当に今考えれば何もない時代です。
若い方は信じられない世界だと思います。
車もそんなに走っていなくて道路はもちろん未舗装。
前の家の庭には防空壕が残っていました。
防空壕は分からないですよね。
アメリカの空爆時に身を隠すシェルター的な物です。
そんな時代です。
当然インターネットも有りませんし、パソコンはおろかオフィス用のコンピューターも生まれたてみたいな時代です。
だれも、インターネットが今のように世界中に普及する時代を想像していなかったと思います。
私がコンピューターに初めて触れたのは18歳の時、40年以上前に学校の授業でです。
当時としては最新鋭のオフコンで、記憶ではNEAC1240という製品だったと思います。
今と比べると考えられないほど低い性能でしたが、装置としては教室1室以上を独占するほど大きい物でした。
簡単なプログラムを作成し、それをリール状のテープにパンチで穴を開けそれをコンピューターに読み込ませるという、知らない人にとっては何を言っているのか分からないような作業をして使用していました。
しかし、コンピューターも初めの一歩が有ったからこそ今のパソコンやスーパーコンピューターがあり、さらには量子コンピューターに進化していくのでしょう。
近代化の速度はコンピューターの進化の速度と足並を揃えているようです。
IT(Information technology)化もただコンピューター化すれば良いと言う物ではなく、必ずセキュリティー的に最先端の物で無ければ意味が有りません。
最先端の仕様でIT化してもネットワークから情報が盗み取られると言う事件は皆さんも良く聞くと思います。
進化を理解していないIT化は情報漏洩のリスクを自分で作っているのと同じです。
私が勤めていた製品の性能も外観もLSIと呼ばれる集積回路(マイクロコンピューターと呼ばれていました。)の進化に足並みをそろえて進化していきました。
現在のコンピュータは生まれてこのかた、「0と1」しか分かりません。
その組み合わせ(二進法)で計算をしたり、絵を描いたりします。
その処理速度と処理量が上がる度に製品やサービスが進化していきました。
これからネットビジネスを始めようと考えている貴方も初めの一歩を踏み出さない事には始まりません。
先ずは行動を起こす勇気とエネルギーを持ってください。
そうすれば、コンピュータと同じように必ず進化(成長)できます。
なぜこんな話をするかと言うと、私の同級生でもコンピュータにアレルギーを抱いて触ろうともしない人種がいます。
便利さは理解している様なのですが、使う必要が有ると会社では部下に、家では子供たちにやりたい事を伝えて代わりに操作して貰うと言った具合です。
人間は道具を生み出したり使いこなせるから人間です。年齢は関係有りません。
知らない事、分からない事は恥でも何でもありません。
知らないまま、分からないままにしておく事が一番恥ずかしい事です。
若い人も同じです。
何か新しいものに触れた時に興味を持って接触し、そして使いこなすという意思を持って取り組んでみて下さい。
それだけでも毎日が楽しくなる筈です。
インターネット
私の幼少期は、今の基準で考えると物質的にはとても貧しい時代だったと思うのですが、不幸だと感じた事は一度も有りませんでした。
物は無いけれども心が豊かだったのだと思います。
大人も焼け野原に次々に建物が建って復活していく街の中で、ある種の使命感を持って生きていたのだと思います。
それが子供に伝わる良い循環が出来ていたのでしょうか。
現代は物は豊かになりましたが、心は貧しくなっていると感じずにはいられません。
勿論、日本国民全部がとかそういう極端な話では有りませんが、実の親が子供を虐待して、しまいには殺してしまう。
年老いた人の孤独死。
学校での陰湿ないじめ、動物虐待等、ニュースを見ていると本当に、何で?と思わざるを得ません。
全てとは言いませんが、多くの場合はコミュニケーションが足りない結果、正常な良識ある判断をする能力が低下しているのだと思います。
親と子、先生と生徒、子供同士、先輩後輩と、どこを切っても現代ではコミュニケーションが不足していると思います。
昔は何かトラブルが有っても「話せばわかる。」と言う人が必ず周りにいた物です。
対面のコミュニケーションが少なくなっている反面、インターネットの普及とともに、世代に関係なく繋がる事が出来る様になりました。
中には一部の出会い系サイトのように悪質なサイトも有りますが、従来のコミュニティの枠を超えてコミュニケーションが出来る様になったのは事実です。
最近ではZOOMという便利な無料アプリも有ります。
SKYPEに近いですが、
これだけ世界中に普及すれば、その善し悪しを議論する余地は有りません。
オウンドメディアやSNSを使って情報発信しながら色んな人と意見を交わす。
しかも、その場でビジネス迄出来てしまう。
自宅にいて好きな時間にそれが出来るとなったら、これはもうやるしかないですよね。
参加の形も情報を受けているだけでなく、積極的に発信して下さい。
勿論、人の為になる良質な情報をです。
匿名だからと言って誹謗中傷を繰り返すのは、自分の精神を自分で殺しているのと同じ事です。
「いいね」を取る為やアクセスを増やすだけの、映えだけ気にするような情報も否定はしませんし、趣味としてやるなら良いでしょう。
しかし、人の為になる情報を発信する方が遥かに高い達成感が得られると思います。
ビジネスとして展開する事も可能です。
折角、世界中にネットワークが出来ている訳ですから、もっともっと有効に使える様な形で参加しましょう。
息子から見てスーパーサラリーマンに見えるのは、こうした時代の流れに乗っていたからだと思います。
高校生の時に接したコンピューターの凄さに感動し、それを扱う会社に就職しました。
しかし、配属された職場は品質保証と言う部門で、コンピュータのハードにもソフトにも直接係わる事が出来ませんでした。
それでも、今考えれば恐ろしく性能の低く記憶容量も64Kのみと言うパソコンが職場に導入された時は、何とか使いこなしたくてプログラミングを必死で覚えました。
今の様にアプリが有る訳では有りませんので、OSだけが搭載された箱にプログラムを組込んでいくのです。
表示は勿論、センサーもデバイスも今考えれば超ロースペックな物ですから、働かすのは大変でした。
それでも自分の考えた通りに機械が動くのが物凄い快感だった事を覚えています。
そんな感じでサラリーマン時代は過ごしていました。
ですから二日酔いの日は別にして、会社へ行くのが嫌だと言う事は有りませんでした。
人生の正しい判断とは…
人の幸せを願って判断
生きていくのは判断の連続と言っても過言では有りません。
その判断の結果として誰かが幸せな気分になるのなら、それは自分の将来にとっても正しい判断と言えます。
何故なら自分以外の人の幸せを強く願って行った判断と行動は、必ず自分の幸せに跳ね返って来るからです。
逆に誰かを不幸にする選択だとしたら、それは正しくない判断だと思います。
経験者語る!というより仏教の教えである因果応報の方が説得力ありますかね。
因縁果の法則です。
これを語ると長くなりますので別の記事に委ねますが、この法則の正しさは年齢を重ねるごとに実感し、そして正しい法則である事を確信しています。
起業するにしてもネットビジネスを始めるにしても、その成果として誰かを幸せにするものでなければ、成功は無いと思ってください。
どちらを選んでも誰かが不幸になるような判断は、そもそもしてはいけない判断だと思います。
外見や財力が全く同じ程度の2人の異性から同時にプロポーズされた時にあなたならどうしますか。
どちらかを選ぶとどちらかが不幸になるような気がしてしまいます。
恋愛だけは選んでください。
そのとき誰かが一瞬不幸な気持ちになるとしてもです!
フラれた方もその時は瞬間的に不幸かもしれませんが、先々大きな幸せに巡り合う事が多いからです。
ふられる事も人には必要な良い経験なのだと思います。
ふられた人の考え方一つです。
悲観など全くする必要は有りません。
当事者になると、なかなかそう思えませんけどね。
ふられた人は結ばれる二人を幸せにしたのですから、妬みやひがみといったマイナスの思考をその後持たなければ、必ず貴方も幸せになれます。
何かを判断するときには人を幸せにする選択をしましょう。
小さい事も大きい事もこれを基準に判断するように心がけましょう。
これだけでも貴方はグーンと幸せに近づきます。
三現主義で判断
毎日小さな事も大きな事も判断し選択して、人生を歩んでいます。
判断材料はその都度色々な事が有りますが、判断の仕方の基準を一つだけでも持っていると間違いが少なくなります。
私は今は「3現主義」と「幸せ」を基本にしています。
データに基づき「現場で」「現物をみながら」「現実の話をする」
現場、現物、現実で3現です。
これは品質管理の手法で問題を解決する時に正しい第一歩とされています。
例えば…
病院で医者と対峙して具体的な治療方針と今までの効果を数値で聞く。
そしてそれが病気を治し幸せになれるか。
一番やってはいけないのは人の話だけで物事を判断する事です。
「あの人は性格が悪い。」「あの車は乗り心地が悪い。」等、抽象的な評価は人の話だけで判断すると、まず間違いです。
社会人心得
言い訳は何も生まない
「良い会社に勤めて、良い給料を頂いて良い家庭を持つ事が人生の目標」みたいに、若い時は周囲からよく言われていました。
繰り返し言われるといつしかそれが正しい人生の目標のようになっていました。
一種の洗脳です。
両親もご他聞に漏れずに良い会社、良い給料、良い家庭の信奉者でした。
両親は父親が大手電力会社、母親が公社勤めという当時でもサラリーマンとしては高給な方だったと思います。
自分たちが正にそのお手本だと思っていたのでしょう。
確かに家電やテレビ、カラーテレビといった三種の神器も周りの尾の家より早く手に入れていました。
電話を買った頃は近所の家の人宛てに家に電話がかかってくるのです。
当時子供だった私は良く呼びに行かされました。
このお手伝いは呼びに行った家でお駄賃として10円くれる場合が多かったので嫌では有りませんでいた。
10円かとバカにしないで下さい。ラムネが2本買えたのです。
サラリーマンは家系なのかと気になって両親の祖父の職業を聞いてみました。
父方の祖父は職業軍人、母方は駄菓子と葡萄酒(ワインではありません。)を作っていたそうです。
これらの職業は敗戦で跡形もなくなった後に二人ともサラリーマンを選んでいるので、当時としては自分達は幸せを掴んだと思っていたのでしょう。何せ、一億総中流時代ですから。
田舎ですから農業や家業を継ぐ人間も多かった訳ですが、みんな必死に働いてもそんなに生活が楽な時代では無かったようですから、大きな会社のサラリーマンは花形だったんですね。
それでも田舎から東京の大学に行かせるのは難しい時代だったのですね、早くから大学へは行かせてあげられないと宣告されていました。
高校を卒業後、一部上場企業の技術員としてサラリーマン人生をスタートしました。
洗脳の賜物です。(笑)
そして、その目標を言い訳にしてチャレンジすることから逃げていたと後でわかりました。
良い会社、良い給料、良い家庭の意味も漠然としか理解していなかったと思います。
いや真剣に考えたことが無かったと思います。
パソコンも無い、ネットもない時代ですから情報量は今では考えられないくらい少なかったです。
ですから漠然と大企業に入れれば「OK」の判断をしていたのです。
両親や周りの人間から幼い時から繰り返し、一つの価値観を刷り込まれていたと思います。
つまり毎日何かの洗脳を受けているのと同じです。
これが昔話なら良いのですが、今も全く変わっていないどころか高校や大学出たらどこかに就職する人の割合が50年程前で50%強だったのが現代では90%も有るそうです。
益々一つの価値観を擦りこまれているのです。
サラリーマンが駄目と言っている訳では有りませんが、サラリーマンである事を言い訳にして新しい事を何もしなくなってしまうのです。
居心地は良いんです。「サラリーマンだって大変なんだ。」とかよく言いますよね、私もサラリーマン時代は何度か口にした覚えが有ります。
これは、とんでもない思い違いです。
サラリーマンに大変な事なんて一つも有りません。
有るとすれば自分で大変にしているだけです。
その位サラリーマンは何もしない言い訳には最高のツールです。
何故かは自分で経営して見れば直ぐに理由はわかります。
何もしなければ貴方の会社は直ぐ倒産です。
何かをしない事の言い訳を考え始めたらどこかで洗脳されたかもと言う疑念を抱いて下さい。
子供時まで遡ってです。
もっともらしい言い訳を始めた時には危険信号です。
そして重要な判断をする際は、いったん情報をクリアーにして、言い訳は一切しないで正しい判断をしたいものです。
言い訳をする事を止めようと思った方が居たら、貴方は今洗脳されています。
そうです。洗脳は日常あらゆる場面で蔓延っています。
TV、新聞、SNS、学校、コミュニティー等々どこでも、何時でもです。
大事なのは洗脳されても何をされても、判断だけは必ず言い訳を入れずに但し行う習慣を身に付ける事です。
思い出してください、人を幸せにする判断です。
怖いイメージのある洗脳、マインドコントロールですが、良いことに使うのであれば素晴らしい技術ですよね。
恋人やお客様の心をコントロールできるわけです。
人を自分の思い通りに行動させることが出来るとしたら、これは凄い事ですね。
洗脳では有りませんが人に対する影響力に関しては「人を感化する力」の記事を御覧になって下さい。
資格

サラリーマンは安定を求めながら、常にもっと違う何かが出来るのではないかと疑問を持つ。
言い換えればもっと稼げるのではないか。
会社に居ながら国家資格を取ったり、語学の習得を目指したりする人も多いと思います。
私もご他聞に漏れずに「行政書士」や「宅建士」の資格を取って、真剣に転職を考えていた時期もありました。
資格を取れば直ぐに稼げると言う謳い文句は、現代のネットで販売している詐欺商材と同じですね。
但し、合格率だけは国から発表されるので教材を売る側としても嘘は付けないので厳しい数字がそのまま書かれていました。
FXの自動売買のシステムなんかも凄い勝率がかかれていますが、どの様にデータを取ったのかが書かれていないので凄いとも何とも判断出来ません。
個人的に笑えるのは、必ず簡単に勝てると言いながら「勝率」と言ってしまっている。
必ず勝てると言いながら100%以下の勝率で表現すること自体がギャンブル的で有る事を認めているように受け取れますし。
さらに、必ず勝てると言いながら返金保証とかついている教材は見た事がありません。
まともな教材なら返金保証が付いている物も珍しくありませんが、投資関係の情報商材には絶対に返金保証が付いていません。
付けれないからだと思います。
結局当時は刷り込まれた安定を選んでしまい、資格を活かす事は有りませんでした。
サラリーマン的には自己啓発で何か国家資格を取ろうとしていると言うと、その資格が何であれ頑張ってるねと言う評価を得られやすいという傾向が昔はありました。
今もあるとは思うのですが現役ではないので皆さんの感じている状態が正しいと思います。
何か挑戦している状態を褒められると、人間は承認欲求を満たされるようです。
正直褒められると良い気分だったのは間違いありません。
なんか資格を取れば新しい人生が開けるかもと錯覚していたのでしょう。
結局転職もせず給料も増えずでした。
では無駄だったかと思うとそんな事はありません。
土地や家を買う時に宅建士の資格は役に立ちましたし、独立起業の際に行政書士の知識はとても役に立ちました。
欲を言えば、あの時にインターネットが有ればとつくづく思います。
多分になってしまいますが、士業でも稼げたと思います。
資格は独立起業する際に無駄になる事は有りませんが、やはり目標を決めてそれに必要な資格を取ると言うのが一番のお勧めです。
ネットビジネスは資格は何もなくても始められますが、有った方が良い資格も有ります。
何をしたいか、どうなりたいかを決めてから資格にチャレンジするようにしてください。
エネルギーの差
日本と海外の差
36歳からマレーシアでの自社工場立ち上げに3年半ほど従事しました。
妻も帯同で、長男はマレーシアで生まれました。
長男の戸籍謄本の出生地には「マレーシア国セランゴール州出身」と書かれていました。
妻も私もとても良い経験が出来たと思います。
一番は同じ人間でも価値観が全く違うという事です。
随分価値観は広げられました。
価値観が広がると、ものの見方の角度が多角的になります。
すると真実を見抜きやすくなるようです。
帰国すると先ず気がついたのは、職場の活気の無さ。
一人ひとりのエネルギーレベルが低いのか、マレーシアの人間のエネルギーが強すぎたのか、正直驚きました。
同じ所にいると人間のエネルギーは感じにくいです。
大きく離れた場所を短期間で移動するとそこに住む人のエネルギーの差は肌で感じ取る事が出来ます。
ネットビジネスの場合は自分のエネルギーや相手のエネルギーを直接感じる事はセミナーとかの機会でもなければ感じる事が出来ません。
ですから、貴方がいくらエネルギーのポジションを上げてもそれを文書で伝える事が出来ないと意味が有りません。
ここで伝わりやすい文書の書き方の存在意義が出て来る訳です。
テクニックとしては出来るだけ伝わりやすい文書構成にして、後はエネルギーを注入する訳です。
テクニックとしてのコピーライティングに関しては別の記事で詳しく解説しています。
「コピーライティング」の記事を御覧になって下さい。
香港と言うパワースポット
マレーシアから帰任して間もない頃、「香港の駐在を1年だけで良いから受けてくれないか」と言う話がありました。
41歳になっていました。
「空洞化」していた日本で、会社の中でも何をするか決めかねていた私には1年という期間はとても魅力的に感じられました。
「ゆっくり、考えられる」と思ったのです。
噂がすごかったです。
中国と同じ社会になる。
政府に色々命令される。
等々、色んな事がささやかれていました。
実際には一国二制度という形で大きな変化は感じられませんでした。(少なくとも当時は!)
今はニュースでもご存じの通り、中国政府の思惑に香港市民が反発してデモを行うという状態です。
あの自由で活力あふれる香港は変えてほしくない。(2021年02月現在)
ミッションもクリアーし1年がたち「交代の人員を探していると」言われ続け、5年もが経過してしまいました。
なんという優柔不断さ、自分が少し嫌いになりました。
何か新しく始めることを決めるまでの1年と思って受けた筈なのに、5年も経っていたのです。
香港駐在というのが予想以上に居心地が良く、コンフォートゾーンになって抜けたくなかったのかもしれません。
確かにエネルギッシュで魅惑的な街だと思います。
- 会社借り上げの快適なコンドミニアム
- 世界中のおいしい料理
- 手のかからない優秀な現地スタッフ
- 飽きない個性的な仲間(日本人も香港人も。)
しかし5年は、会社の規定で定められた駐在の期限です。
「このパワースポットを離れたくない。」という気持と家族の元にようやく帰れると言う気持が入り混じっていました。
帰任間際の2001年9月11日、この日付け覚えていますか?
世界を震撼させた同時多発テロの日です。
丁度日本では二人目の女の子の予定日が近くなり一時帰国の途についていました。
病室に到着すると、まるで映画の一シーンの様な、ビルが崩壊する映像が繰り返し流されていました。
衝撃的でした。
大勢の犠牲者は出ましたが、アメリカはビクともしませんでした。
香港で経験した事でビジネスに役立つ事は別の記事でまたシェアーします。
もし、貴方がサラリーマンで海外駐在の話が有ったら、絶対にチャンスです。
迷わず海外駐在を経験する事をお勧めします。
地域にもよります。リスクの確認は忘れずに!
幸いなことにネットビジネスは今では海外に居ても何の支障もなく副業として出来ますので、ご心配なく。
日本を離れると必ず貴方の知らない世界に出会えます!
独立起業の成功と失敗

会社を辞めたのにまた社畜になるの?
香港から帰国後の日本はマレーシアから帰国した時よりさらに空洞化が進み残念な状況でした。
さすがに直感したのは、この会社は長くないでした。
一部上場企業の事業所だったのですが、帰国時には子会社化されていてそこに転籍で戻ったのです。
それでも子会社の社長に直談判し、儲かりそうな事業を企業内起業で起こし、踏ん張ったのですが長くは有りませんでした。
事業所閉鎖!
未練は全く在りませんでした。
企業内起業の経験も大きかったですが、退職日の翌日には自分の会社の代表取締役ですから、ずいぶんうまくやったと思いました。
52歳と言う年齢になっていました。
そして、新しい会社の事業も上手くいくだろう。
確かに最初は予想以上に上手くいったのですが、大きな間違いなのは何年か後に気付く事になります。
私の知る限りでは数百人が退職した中で自ら起業したのは私だけだと思います。
「なぜ、みんなチャレンジしないのだろう。私より才能のある人は沢山いるのに。」というのが当時の実感でした。
私だけでなく、多くの人が自分でそう意識していなくても”社畜”なんだなと思いました。
会社員が一番安定していて幸せになれる。
と思い込んでいるのです。
そして行動しない。
会社で希望退職してくれと言われる状況でもまた違う会社を探す。
日本ではジョブホッピングもないし、転職すると大概給料は下がります。
これからネットビジネスを始める皆さんにとって起業自体が高いハードルに感じるかも知れません。
しかし実際は考えるほど高くは有りません。
独立起業の仕方はトップメニューの 「サラリーマンの独立起業」 を御覧下さい。
最期に
余り大した教訓は無かったですか?
少しでも参考になる物が有ればよいのですが。
長く生きると色んな経験をして教訓的な物を学ぶ訳ですが、これまでの一番の教訓は「考えて行動する。」と言う事です。
「何言ってんだ何時も真剣に考えて行動しているよ。」と叱られるかもしれません。
しかし、私の体験的には考えている様で考えていない。何かしら意見合理的に見える言い訳を見つけて楽な方を選択する。
それの繰り返しだった気がします。
言い訳をせずにチャレンジする。
直ぐに行動を起こす。
人の為になる事、喜ばせる事をする。
この3つを継続して行えれば幸せ行きの切符が手に入ると思います。