仏教とビジネス

コラム

除夜の鐘と仏教の教えが示すビジネスマインドセット

除夜の鐘の108回の響きには、人々の煩悩を払い清め、
新しいスタートを切るための深い意味が込められています。
この古くからの習慣が、現代のビジネスパーソンにとっても、
意義深い教訓を与えてくれます。

 

仏教の影響と日本人の宗教観

日本では多くの人が形式的に宗教行事に参加しつつも、
「無宗教」と自認することが一般的です。
しかし、海外居住での経験からは、
この矛盾がしばしば新たな視点を提供します。
仏教や神道の教えが、日常的にどれほど、
生活に溶け込んでいるかを再認識する機会となるのです。

 

ビジネスと仏教の教え

仏教における「因果応報」の概念は、
ビジネスの世界においても原因と結果の理解を重視することの、
重要性を教えてくれます。
除夜の鐘に関連する煩悩の考え方は、
私たちが直面する日々の課題に対して、
冷静なアプローチを取る助けとなります。

 

煩悩の理解とビジネスでの応用

ビジネスにおいても、人間の欲は無視できない強力な動機付け要因です。
煩悩を理解し、コントロールすることができれば、
より効果的に目標を達成することが可能です。
除夜の鐘が象徴するように、欲望を清算し、
新たな目標に向かって清新な気持ちで取り組むことが重要です。

 

欲望との健全な付き合い方

煩悩と向き合うことは、自己成長の過程で避けて通れない道です。
ビジネスにおける欲望—成功への渇望、報酬への欲求—は、
適切に管理されるべきであり、それには仏教の教えが有効な指針を与えます。

 

煩悩のポジティブな変換

煩悩を完全に排除することは不可能であり、また望ましくもありません。
代わりに、これらの欲望を生産的なエネルギーに転換し、
創造的な業績へと導くことができれば、
個人の満足度を高めると共に、ビジネスの成功にも繋がります。

 

まとめ

仏教の教えは、煩悩という自己の内面と向き合い、
それを積極的に生活とビジネスに応用する方法を教えてくれます。
除夜の鐘が響く新年を迎えるにあたって、
これらの教えを自己反省と自己革新の機会として活用することで、
より充実した一年を送ることができるでしょう。

このように仏教の理念を生かしたビジネス戦略は、
精神的な満足感とともに、より大きな成功をもたらすかもしれません。
これ以降の深掘り記事は少し長くなりますので、
興味の有る方だけどうぞ!

個人的には読まないと損だと思います。

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煩悩108の意味

事業で成功するには自分が好きな事で、世の為人の為になる事が、
一番成功しやすいと言う事は常識と言っても良い程ですから、
理解して頂けると思います。

私も人の為になる仕事がしたいと思いながらも、
毎日欲にまみれて暮らしています。
食欲、性欲、金欲、名誉欲、睡眠欲と、
人間の持つ五欲と呼ばれるものが常に頭に浮かびます。
正に欲まみれです。

特に年末年始に「除夜の鐘」の音を聞くと、
108つの煩悩の事を思い出します。
108と言う数字には諸説あるようですが、
沢山あると言うのが一番分かり易いかなと思います。

実はこの108と言う数字はブログのホームページの、
サイトURLの一部cosmo108.comにも使っている数字です。

ネーミングの時には煩悩を祓って人の為になるブログを運営しよう、
という思いで108という数字を使いました。
それ以前に誕生日が10月8日という事もあって108という数字には、
何となく執着が有ります。

その時は「除夜の鐘」は一年間苦しめられた沢山有る煩悩を祓(はら)って、
新しい年を迎えると言う意味の行事
という事までは知っていたので、
新たな出発には良いかなと思った訳です。

私も最近まではそこまでしか知識が有りませんでした。
しかし、煩悩とは何か?
そしてそれは本当に鐘を突けば祓う事ができるのか?
そこまで考える人は中々居ないと思いますが、
サイト名にも使用していますし急に気になったので調べました。

調べると中々奥が深く、
皆さんにもシェアーした方が良いと思い記事にした次第です。

煩悩の話なので仏教で使われる言葉も多々出てきますが、
私は仏教を専門的に勉強している訳でもなく、
仏教を教えるなど到底できる立場ではない事は最初にお断りしておきます。

その上で、ネットビジネスを新しく始めて、
人生を変えようとしている貴方の心構えやマインドセットの一助に、
していただければと考え、私見ではありますが、
ネットビジネスを成功させ幸せな人生を得る、
参考にして頂ければと思います。

 

煩悩とは!?

さて、煩悩の中でも特に苦しみが強く悩まされる、
三毒と呼ばれる煩悩があります。

私など日頃の生活の中でこの欲が出ているなと、
思い当たる事ばかりです。

貴方はどうですか?

  • 貪欲(どんよく)  欲しいと思う物への執着心
  • 瞋恚(しんい)   怒りの心
  • 愚痴(ぐち)    真理を知らない愚かな心

煩悩が心を悩ませていると知りながら、
消せないのは何故だろうと思っていたのですが、
自分では納得できる答えがなかなか見つかりませんでした。

しかし、ネットで「煩悩」で検索中に、有りました有りました!
一昔前なら図書館とかに行って時間をかけて調べるしか、
方法がなかった事を考えるとインターネットって本当に便利です。

 

全ての人が求めているものは幸福
これに異を唱える方はいないと思います。
お金持ちになりたいのも夢を叶えたいのも、
幸せになりたいからです。

そしてそれを邪魔するのが煩悩
これは、多くの人が体験的に、何となく理解していると思います。

幸福でないと感じるのは煩悩が満たされないから!?

では満たされれば幸福になれるか、
個人的には記憶が有る1960年~1980年(40~50年前)、
あたりと比べてもみても、
それまで無かった物が手に入り、
どんどん生活が便利になっています。

しかし、心から幸せだと言う人が、
周りにどのくらい増えているのでしょうか?
増えるどころかむしろ減っている気がします。

私自身も最近の方が幸福感を感じにくくなっているように思います。
内閣府のデータや民間の調査結果を見ても、
バブル期以降はGDPは増えても幸福度は上がっていない。⤵⤵
物質的には豊かになっていても、
それに比例して幸福度は上がっていない
のです。

確かに子供の頃は、夏と言えばランニングの下着に白の短パン、
布地のすり切れたズック(運動靴)か安物のサンダルが定番で、
身なりは貧しさ全開でしたが、心は満たされていた気がします。

毎日近所の子供たちと外で暗くなるまで、
遊びまわるのが本当に楽しかったです。

この遊びでも仕事でも人と交わる事が幸福感を得る一つの条件、
では無いかと思います。
多分孤独では幸福感は感じられないと思います。

無邪気に近所の友達と遊ぶ、
実は「無邪気」も良く見ると邪気が無いと書きますよね。
大人に対して「無邪気」はめったに使わない事を考えると、
やはり子供は純粋無垢という事でしょうか。

大人になると知らぬうちに、
「ねじれた心」になってしまうのでしょう。
出来るだけねじれないようしたいと思う心を、
持っているのが人間の素晴らしいところです。

物が豊富になった現在はと言うと、
誰に聞いても瞬間的には幸福感を感じていても、
ずっと幸福と答える人は少ないようです。

なんでだろうと思っていましたが、
仏教にその答えらしきものが有りました
「え~仏教?!」と思った方も多いと思います。
私もそうです!

仏教をお薦めできるほどの知識も有りませんが、
私は阿弥陀如来やお釈迦様が唱えた
「ことわざ・名言」だと思って仏教の教えを理解しました。
名言だと思えば欧米の有名なマーケッターの名言と、
同列に感じて、受け入れやすかったです。
宗教だと思うと少し違和感があるのは私だけでしょうか?

一旦、今貴方が持っている仏教へのイメージを捨てて、
ネットビジネスを成功させるためのセミナー、
だと思ってしばらく付き合ってみて下さい。

あなたの世界観が変わる事請け合いです。
勿論この記事はネットの情報はもとより、
無料で手に入る情報を自分なりに整理して理解した
私見ですから、仏教的には間違っているかも知れません。

しかし、ネットビジネスを成功させるための、
マインドセットだと思って頂ければ中々興味深いと思いますし、
幸せへの近道
になるかも知れません。

 

お金は有った方が良い!?有無同然を理解する

ネットビジネスでお金を沢山稼ぎたいと言うのは誰しも思う事です。
ネットビジネスに限らず、お金を稼ぐのは自分の為でなく、
人の為
になる事を最優先に考えた方が、経験的に上手くいくようです。

自分だけ儲かれば良いという考えでは、
誰からも協力を得る事は出来ません。
人のために頑張って意味あるの?
と聞かれることが良くありますが、
良くしてあげた相手の心理としては
「返報性の法則」「一貫性の法則」が働き、
やがて自分に返って来る。

そもそもお客様のベネフィットになる事で無ければ、
誰もお金を使ってくれない
事は経験的に私も分かっていました。

ところが仏教ではさらに上を行くと言っても良い考え方を教えています。
物質的にいくら豊かになっても幸福を感じられない。
これは仏教では「有無同然」と言って、
有っても無くても結果は同じで幸福にはなれない。

有れば有ったで苦しみ、無ければ無いで苦しむという事だそうです。
うーん、なんとも切ない( ノД`)シクシク…
この「有無同然」と言う単語だけ見ると、
有る事と無い事が同じであるという意味不明な感じがします。

「なんでやねん」と突っ込みたくなるところです。
意味を知ると「有れば有ったで、無ければ無いで苦しむ」、
人間の欲にはキリが無いから、
物やお金はどんなに手に入れても際限が無い

つまり無いと有るの繰り返しだけです。
なるほど、深い意味を知れば納得!
それはその通りかも知れません。
欲に際限がないとすると、
何のために稼いで何のために生きているの?
という基本的な問題に戻ってしまいます。

ネットビジネスで沢山稼いでも稼がなくても同じ???
人の為になる事で稼げば幸せになれると思っていたのに!!!

 

煩悩が悪者では無い

煩悩(欲)に際限が無いから、
お金を稼いでも悩み苦しんで幸せになれない。
困りましたね。

では煩悩(欲)を
完全に満たすか、断ち切る
事ができれば幸せになれる
のか。

際限の無い欲を完全に満たす事など元々不可能だし、
断ち切る事は死ぬという事になってしまいます。
食欲を断ち切ったら死んでしまうし、
性欲を断ち切ったら子孫が残らない。

煩悩(欲)を完全に満たす事を目指す人を「快楽主義」
完全に断ち切ろうとする人を「禁欲主義」と言います。

これは良く聞く言葉であるにも関わらず、
どちらの主義でも成功した人の話を聞いた事がありません

例えば何か一つだけ我慢するとか、
何か一つだけ好きな事をし放題にするとかは主義ではありません。

大概快楽を得るために何かを我慢しています。
快楽を得るために禁欲するのでは主義とは言えない事は容易に理解できます。
際限の無い欲を満たす事が無理なのは簡単に理解できますし、
欲を断つ事も生きられないので不可能です。

さらに仏教では人間は元々「煩悩具足」(ぼんのうぐそく)といって、
煩悩で出来ているのだから断ち切ったら無いのと同じである。

という教えです。
これは分かり易い。
欲の塊です。(笑)

満たせない断ち切れない、しかも煩悩で出来ている、
とまで言われると、どうすれば良いの?
と言いたくなりますよね!

 

幸福への切符

答えは煩悩をそのまま幸福に変えてしまう、
という教えです。

「煩悩即菩提」(ぼんのうそくぼだい)という事だそうです。

煩悩!と言ったら三毒の貪欲、瞋恚、愚痴の、
貪瞋痴(とんじんち)トリオを幸せの元にする???
ほかの沢山ある煩悩も全て幸せの元に???

これはなかなか理解しにくいですが、簡単に言えば、
(尊い教えですから簡単に言ってはいけないのかも知れませんが。)
心の持ちよう、考え方だと言う事だと思います。

仏教の悟りの境地ですから凡人の私が簡単に知る由も有りませんが、
わたしとしての理解は、たとえば身近な話(経験談!?)だと、
毎日通勤に電車で始発駅から2時間かかる人は、
もっと近くに住みたい、自分の家で仕事をしたい、
電車でなく車で通勤したい等々、色んな欲が芽生えます。

現実には欲は簡単に満たせないので不平不満を口にしている。
しかし、ある日とても素敵な女性と偶然隣り合わせになり、世間話をしたとします。
すると、同じ通勤なのにこの女性ともっと話していたい。
もっと知り合いたい、と思うと目的の駅までがなんと近く感じる事か

そしてまた次の日にその女性と話したくて、
いつもより早く家を出てホームで女性を探す。
それもウキウキした気分でです。

あんなに嫌で色んな欲が湧いてきたのが嘘のように、
とても幸せな気分になっている自分に気付きます。

人間が煩悩で出来ているのなら、
煩悩を一つでも多く幸せな気分に変える工夫
が幸せになる方法なのかなと言うのが私見です。

ところで、この青年はその後ラッキーにも、
電車で知り合った女性とお付き合いする事になりました。
すると、その女性に対して愛が芽生え執着心が出てきました。
そして性欲も抑えられなくなっていきます。

そしてまた煩悩に苦しむ。
やっぱり、人間の煩悩にはキリがないですね。(笑)

愛に関しては経験上、対価を求めずにひたすら相手の幸せを思う
たとえその相手が自分以外の人を選んだとしてもです。

それが彼女(彼氏)の幸せにつながるのであれば執着せずに祝福する。
若いうちはそんな事出来ませんでしたけどね(*- -)(*_ _)ペコリ。


少しでも今ほどの知識が有れば出来たかもしれませんが!
煩悩は沢山有りますが一つづつなら、
何とか幸せになる方法が見つけられそうです。

そうやって煩悩を一つずつ「煩悩即菩提」(ぼんのうそくぼだい)、
の境地に出来るだけ近づけていく事。

これが凡人に出来る幸せになる道なのかなと思います。

ネットビジネスは幸せになる為の手段として実践する訳ですから、
「お金さえ稼げれば良い。」という方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、煩悩即菩提の境地に近づくには、
お金に対する執着を捨てなければなりません。

矛盾しているようですが、
欲を捨てて金欲を満たす為には、
相手や周りの人が幸せになる事を願ってビジネスをする
という事ではないでしょうか。

その結果としてお金が入ってくる。
うん!?これって結局今まで思っていた事と同じでは!
要するに人の為、世間の為になる事を、
ビジネスとしてやれば良いと言う事か!

敢えて言えば「自分が好きな事で」と考えていましたが、
それはどうでも良い事かも知れません。

独り善がりの欲の塊では、
絶対に成功する事は無いと言う事は理解出来ました。
この記事にしても偶然にでも目にした人が、
少しでも幸せに近づけたら良いなと願いながら書いています。

この気持ちがビジネスの成功と幸せへの切符になる
のだなと、改めて認識しました。

あとは時間、死ぬまでに間に合えば良いのですが(笑)
煩悩は沢山有り過ぎて死ぬまでに、
即菩提の境地に着く事が出来るのかなと思っていたところ、
「死」に関連して、また気になるフレーズを見つけてしまいました。
気になると知りたいと言うのも欲だな・・・
これもやっぱりキリが無いのか・・・

 

苦しみ悩みの本当の原因

やっと分かったと思ったのも束の間、
”悩み苦しみの本当の原因は煩悩ではなく、
「無明の闇」(むみょうのやみ)である。”

えー!? 煩悩が悩み苦しみの原因って言ったじゃーん。
「無明の闇」って聞いてないよー。
「無明の闇」とは何ぞや。

煩悩は気持ち一つで幸せの元にする事が出来るのだから、確かに悩み苦しみの原因では無い事は理解できます。
むしろ人間は煩悩で出来ている(煩悩具足)なら欲の塊でなく、幸せの元の塊と言い換える事も出来ます。
ネットビジネスを進めていく中で悩み苦しみが出てきても全て幸せにかえてやる!
と意気込んで「煩悩即菩提」と言う有難い言葉に感謝していた矢先です。

除夜の鐘から、凄いとこまで来てしまったと思いながら、
なぜか楽しくなってきたので幸せになる為に「無明の闇」とやらの正体を知りたいと、興味津々で調べてみました。
調べれば調べるほど、これは正に仏教全体を理解しないと無理だと思いました。
簡単ではありません。
しかも唯一「無明の闇」を打ち破る方法は仏教の話を聞く事だと言う結論です。

それでも私なりに理解ではありませんが、想像できた事はあります。
あくまでも私見で仏教の教えでは有りません。
無責任な言い方かも知れませんが仏教に興味の有る方はそれぞれ師を見つけて教えを受けて下さい。
とてつもなく奥の深い物だという事だけはお伝えしておきます。

 

無明の闇

悩み苦しみの原因は煩悩ではなく「無明の闇」
明かりの無い闇ですから真っ暗ですが、
これは物理的な光が無いと言う意味ではなく心の闇を言っています。

心が闇、つまり何かに対して何も知らない無知という事です。
何かと言うのは「死」です。
人間に生まれたからには全員100%迎える未来です。
しかし、死んだ人が戻ってきて死後の世界を語る事は有りませんから、
どんな様子か分からず不安になります。

仮死状態で死後の世界を見たと言うのは正確には死後では有りません。
仮死ですから死んでいません。
死んでいないのに死後の世界を語るのは、おかしいと気付いて欲しい物です。
知らない、分らないから不安になる、
不安になるが考えても答えがなさそうなので楽しい事をして忘れようとする。

 

死んだらどうなる

そして死後どうなるかに関して仏教の答えは「輪廻転生」!
よく聞く言葉ですが、生きている時の行いによってそれぞれ、
以下の六道のどれかの世界に生まれ変わると教えています。
生まれ変わると言われても人間に生まれ変わるのは相当難しく、
益々不安になるような気もします。
しかも、人間界、天上界以外は今以上に苦しみ悩みが凄そうだし・・・。

さらに人間界以外は信じる以外に存在を認める方法がありません。
しかし、この六道を表す単語はどれも馴染み深くありませんか!?

  1. 地獄・じごく(最も苦しみの激しい世界。)
  2. 餓鬼・がき(食べ物や飲み物が有っても、飲食できない世界です。)
  3. 畜生・畜生(動物と同じで強い物に食べられてしまう恐怖の世界です。)
  4. 修羅・しゅら(常に争っている世界です。)
  5. 人間(今生きている世界です。)
  6. 天上(六道の中では楽しみが多い世界ですが悩みも寿命も有ります。)

天上とはキリスト教で神様が住むとされる天国のような場所ではなく、
人間界より楽しみが多い程度です。
ここでも悩み苦しみはあり、寿命も有ります。

さらには罪を犯すと「無間地獄」(むけんじごく)という最悪の地獄に堕ちるとされています。
天国に匹敵するかそれ以上の世界が「極楽浄土」です。
この六道に出てくる言葉自体は普段の生活でもかなりの頻度で使っている事に気付いて驚きました
私は仏教を勉強している訳でもないのに、
「天上」以外の単語は普段の生活でも自然に使っている事がとても不思議な気がしています。

例えば重い罪を犯した人や憎悪を抱いている人間に対して、
「地獄に堕ちろ」とか普通に使われていますし、
欲深い人間には餓鬼の様」だと表現したりします。
子供は食べたいものが有ると、
泣いて駄々をこねて何とか手に入れようとします。
だから餓鬼なんですね。
畜生修羅場はかなり使っているように思います。
それも私だけでなく周りの人間も同じです。

仏教は因果の道理(因縁果の道理)が根幹に有ります。
六道を普段の生活の中で自然に使っているのは、
正に輪廻転生を繰り返しているうちにそういった世界を、
経験してきたのかも知れません?!

そして輪廻転性を繰り返すのではなく、
解脱して極楽浄土に行く事が生きる目的
であり、
絶対的な幸福への唯一の道かも知れません。

一般人には修行を積んで解脱(げだつ)して極楽浄土に行くのは無理です。
地球上で過去、最上位の52位の仏まで上り詰めたのはお釈迦様だけだそうです。

極楽浄土に行けなくても輪廻転生で生まれ変わる世界は、
様子が分かっている人間界が良い
と思うのは私だけでは無いと思います。

しかし、人間界に生まれ変わる為には「五戒」という戒めを、
死ぬまで守らなければなりません。
これは大概の人が不可能です。

  1. 不殺生(ふせっしょう)生き物を殺してはいけない
  2. 不偸盗(ふちゅうとう)人の物を盗んではいけない
  3. 不邪淫(ふじゃいん) パートナー意外と性交してはいけない
  4. 不妄語(ふもうご)  嘘をついてはいけない
  5. 不飲酒(ふおんじゅ)   酒を飲んではいけない

不殺生だけでも虫やネズミを駆除と言う理由でどれだけ殺してきたか、
殆どの人間は物心つく頃には戒律を犯している事になります。
だから、殆どの人が人間に生まれ変われないんです
だから、「無明の闇」を破って「輪廻転生」から解脱して、「極楽浄土」を目指せと言う事になります。

 

幸せな人生を送る為には

人間は煩悩で出来ていると言われるほど欲の塊で出来ている、そして煩悩の種類は沢山あり、それを満たしたり、消したりする事は出来ない。

ならば、煩悩と上手く付き合い煩悩を悩みや苦しみの原因と考えるのではなく、喜びの元にしようと努力するのが大切ではないかと思います。

 

しかし、本質的な人間の心の闇に関しては仏教では瞬時に消えると教えているようですが、
それには仏教の話を聞きお布施を払いなさいとなります。
お布施の話が出てくると、随分高貴な話と思っていた事が急に白けてしまうのも正直な感覚です。
無明の闇を打ち破る事への挑戦をするか否かは各人の判断によります。
少なくともビジネスで成功して幸せになる為には、
「人の為になる仕事」をして喜びと感動を与える事が一番重要かなと思います。
どんな道も究めるのは大変ですが、しばらくはビジネスで多くの人を幸せにする事に集中していきたいと思います。
皆さんも、一生懸命に正しい努力を継続していれば、いつか必ず成功に到達し幸せに近づけると思います。
ちょっと気になった除夜の鐘からの展開でした。

 

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